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JR鶯谷駅北口から3分も歩かないところに元禄4年に店を開いたという豆富の専門店があります。
お店の名前は「笹乃雪」です。
300年以上の歴史を持つとなると、色々なこだわりや逸話があったりするものですが、今回はそれらの話も交えながら、このお店の紹介をさせていただきます。
■屋号である「笹乃雪」のいわれ
笹乃雪は上野の宮様(寛永寺の第五代貫主公弁法親王)のお供で京都から江戸に移ってきた初代玉屋忠兵衛が根岸で豆富茶屋を開いたのが始まりです。
この玉屋忠兵衛が絹ごし豆富を発明し、上野の宮様がこの絹ごし豆腐をとても気に入られて、「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」と賞賛され、絹ごし豆富を「笹乃雪」と命名し、それをそのまま屋号にしたというのがいわれとなっています。
■豆腐を豆富とするこだわり
笹乃雪では豆腐のことを豆富と記します。
ここにも笹乃雪のこだわりがあります。
おおよそ80年前とのことですが、9代目当主がお客様に提供するものに「腐る」という文字を使用するのは如何なものかということで、「豆富」という表記に変えたのが始まりで、今もそれが引き継がれています。
今では「豆富」という表記も多く使われるようになり、色々なところで見かけますが、元々は笹乃雪が始まりです。
■明治の俳人正岡子規も愛した笹乃雪
明治の俳人であり、夏目漱石らと親交があったことでも有名な正岡子規は、明治27年から病没するまでの8年間を根岸で過ごしました。
その最後の住まいは子規庵と呼ばれ、復元された建物が今も保存されています。
ここは笹乃雪からも近い場所であり、正岡子規は笹乃雪によく通っていたそうです。
また、笹乃雪を特別な思い入れを持って、いくつかの笹乃雪にちなんだ歌を詠んでいます。
■赤穂浪士と笹乃雪
笹乃雪は赤穂浪士ともゆかりがあります。
元禄15年の討ち入りの後、浪士たちはいくつかの大名屋敷にお預けの身となりました。
そのうち細川様のお屋敷に宮様のお心遣いによって笹乃雪の豆富を届けたのですが、実は娘の思い人がその浪人の中にいた磯貝十郎左衛門だったのです。
討ち入りの前から思いを寄せていたとのことで、実は浪士の一人であったと分かった時の気持ちを思うと胸が痛くなるばかりです。
■ぜひ当時の味を堪能しましょう
このような歴史に負けないエピソードをもつ笹乃雪ですが、豆富のほうも井戸水とにがりを使用した昔ながらの製法にこだわって提供が続けられています。
笹乃雪のような老舗があると、かつては鶯谷、根岸界隈がお金持ちの方々の隠居先として人気があったことにも納得がいきます。
鶯谷周辺に来られた際には、是非とも笹乃雪に寄られてみて、遠い昔に思いを馳せながら昔ながらの豆富の味を堪能してみるのはいかがでしょうか。
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