2025年のNHK大河ドラマは、横浜流星さんが主演する「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」です。
この作品の主人公は蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)という人物。
大河ドラマの主人公と言えば戦国武将など誰もが知る歴史上の人物であることも多いですが、蔦屋重三郎はあまり聞いたことがない名前だったので、調べてみると、なんと新吉原(現在の台東区千束)で生まれ育ち、その才能を開花させたとのこと。
台東区にゆかりがあるということで、台東区で長年営業している弊社としても気になり深堀ってみたら、非常に魅力的だったので、シェアさせていただきたいと思います。
”蔦屋重三郎とは一体どんな人物なのか?”と興味を持っている方も多いでしょう。
蔦屋重三郎は、浮世絵師の喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)といった多くの才能を発掘し、江戸時代の出版業界で活躍した巨匠です。
「江戸のメディア王」と呼ばれており、その優れた審美眼とプロデュース能力は、当時の文化発展に大きく貢献し、その影響は現代にも続いています。
そんな彼の生涯について詳しく見ていきましょう。
吉原遊郭
蔦屋重三郎は、1750年(寛延3年)に江戸の新吉原で生まれました。
江戸幕府の将軍は、9代・徳川家重(1712〜1761年)の時代です。
なお蔦屋重三郎の本名は丸山珂理(まるやまからまる)。
7歳の時に喜多川氏の養子となり、「蔦屋」は喜多川氏が経営していた店の屋号です。
つまり、蔦屋重三郎は通名です。
また「蔦重(つたじゅう)」の愛称で広く親しまれています。
◆吉原で書店を開業
1772年(安永元年)、蔦屋重三郎が22歳の時に生まれ育った地である新吉原で小さな書店を開業します。
書店では鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ)が中心に刊行していた吉原細見(=吉原遊郭の情報誌)の卸し、小売を開始。
遊女の評判記「一目千花(ひとめせんぼん)」を出版し、本格的に出版業を始めます。
吉原細見の版元である鱗形屋が出版を中止すると、自ら吉原細見を刊行。
また自らが吉原細見をはじめて刊行する際に、序文を当時浄瑠璃作家として大人気の平賀源内が書いたことで話題を呼びました。
蔦屋重三郎は生まれも育ちも吉原であるうえに、本の知識もある彼が編集する”ガイドブック”は他の追随を許さない充実度を誇り、吉原細見の出版を本格化させます。
30歳頃には、出版される本の種類も多様化し、出版業を拡大していきます。
その過程では、大田南畝(おおたなんぽ)や山東京伝(さんとうきょうでん)と親交を深め、絵本や狂歌本(=日本古来の詩歌である和歌に社会風刺や皮肉を込めた狂歌を集めた書籍)を出版。
また滝沢馬琴(たきざわばきん)や十返舎一九(じっぺんしゃいっく)などの新人作家を発掘・プロデュースして、黄表紙(=江戸時代に流行した大人向けの漫画本)や洒落本(=遊廓などの遊所での遊びについて書いた本)も出版し、そのすべてが大ヒットします。
◆幕府による風紀取締の摘発を受けピンチに陥る
出版業が順調だった蔦屋重三郎にも危機が訪れます。
1787年(天明7年)、徳川家斉が11代将軍となり、松平定信が老中(=江戸幕府の政務を統括する最高職)に就任すると「寛政の改革」が行われます。
10代将軍・徳川家治の際に老中だった田沼意次(たぬまおきつぐ)は、商業を重んじた貨幣経済中心の国作りを推し進めました。
一方で幕府は財政難に苦しみ、農村業を復興し、経済の実権を商人から取り戻すための財政改革を必要としたのです。
そこで、松平定信は倹約令による贅沢の禁止と都市部に集まった農民を再び農村に戻し、年貢徴収の安定を図りました。
風俗矯正・出版統制を厳しくする中で、1790年には「出版統制令」を発令。
山東京伝の洒落本が取締り対象となり、蔦屋重三郎も山東京伝の本を出版した罪で、財産半減の罰金刑を受けることになってしまいます。
◆浮世絵版画を出版し再起を図る
財産の半分を没収された蔦屋重三郎でしたが、再起を掛けて浮世絵師をプロデュースします。
そして、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵版画を発売し、再び財を蓄えました。
しかし1797年(寛政9年)、脚気(かっけ)という病に倒れ、47歳でこの世を去りました。
蔦屋重三郎は単なる商人ではなく、芸術家や文人たちの支援者としても活動し、多くの才能ある人物を育て上げました。
その結果、彼の名声は江戸中に知れ渡り、江戸の出版業界を支える中心的な存在となりました。
蔦屋重三郎の人生は、江戸文化の発展とともに歩み続けた激動の生涯だったと言えます。
蔦屋重三郎は、江戸時代における出版業界のリーダー的存在として、多くの才能ある絵師を発掘したことで知られています。
彼の最大の功績の一つは、浮世絵師の喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に送り出したことです。
当時、浮世絵は庶民の娯楽として大いに人気を博していましたが、蔦屋重三郎はその中でも特に斬新な才能を見抜く目を持っていました。
例えば、喜多川歌麿の美人画は、当時の大衆に絶大な人気を誇り、蔦屋重三郎のプロデュースによってその名が世に広まったと言われています。
また、東洲斎写楽の役者絵は、独特な表現と力強さで一世を風靡し、今日でもその作品は高く評価されています。
蔦屋重三郎の先見の明と、彼が芸術家たちに与えた自由な表現の場が、江戸の美術文化を大いに盛り上げることとなりました。
蔦屋重三郎は、江戸時代の文化発展において、重要な役割を果たした人物です。
彼が開業した「耕書堂(こうしょどう)」は、単なる書店や出版社ではなく、芸術家や文人たちが自由に集まり、創作活動を行うための拠点となりました。
ここで出版された書籍や浮世絵は、江戸の庶民の間で広く愛され、彼が手掛けた作品は時代の文化の象徴となりました。
蔦屋重三郎は、芸術家たちに自由な創作の場を提供するだけでなく、経済的支援も行い、彼らが作品を生み出し続ける環境を整えました。
その結果、江戸時代の美術や文学はますます盛り上がり、彼の出版活動は文化の普及に大きく貢献しました。
当時の日本では当然、テレビやインターネットなどの映像媒体は存在していないため、本などの出版物が人々にとって大きな情報源となっていました。
そんな時代の中で、多くの人にとって面白い出版物を提供し続けていたことが、「江戸のメディア王」とまで言われるようになった理由なのでしょう。
蔦屋重三郎と台東区
台東区は、蔦屋重三郎が生まれ育ち、活動した江戸の中心地です。
台東区内には現在も彼にゆかりのある場所が残り、功績が受け継がれています。
◆五十間道と耕書堂跡
住所:〒111-0031 東京都台東区千束4丁目11番地付近
五十間道は、吉原遊郭の唯一の出入口であった「吉原大門(よしわらおおもん)」へ続く道で、S字にカーブを描いているのが特徴です。
蔦屋重三郎が開業した「耕書堂」は、吉原大門前で開業し、書籍の販売と出版を開始しました。
耕書堂は、ただの書店や貸本屋ではなく、蔦屋重三郎の独自の審美眼と経営手腕によって、多くの芸術家や文化人が集まる場所となっていました。
この地で、江戸の庶民文化を象徴する作品が数多く生み出されたと思うと、なんだか歴史が身近に感じますよね。
なお、耕書堂は蔦屋重三郎が22歳のときに開業し、約10年間営業した後、中央区の日本橋大伝馬町に店を移転しています。
◆見返り柳
住所:〒111-0031 東京都台東区千束4丁目10-8
見返り柳は、土手通りの「吉原大門」交差点付近に植えられた柳の木の名称です。
吉原遊郭帰りの客が、名残を惜しみつつ、この柳のあたりで振り返ったことからその名がつきました。
◆正法寺(しょうぼうじ)
住所:〒111-0025 東京都台東区東浅草1丁目1-15
正法寺は、蔦屋重三郎が葬られている場所です。
墓所は震災・戦災で失われましたが、現在は復刻された蔦谷家の墓碑と重三郎母子顕彰碑が建っています。
台東区に位置する正法寺は、現在でも多くの人々に親しまれ、蔦屋重三郎が育んだ江戸の文化を感じることができます。
寺を訪れることで、彼の生涯や功績について深く考える機会にもなり、歴史的な意義を感じ取れます。
正法寺は、蔦屋重三郎が残した文化的遺産を後世に伝える大切な場所となっています。
最後に蔦屋重三郎に関する豆知識をご紹介します。
「つたや」と聞くと、パッと思いつくのはレンタルビデオ・書店の大手企業である「TSUTAYA」ではないでしょうか。
どのような関係があるのか調べた所、「TSUTAYA」(蔦屋書店)は、蔦屋重三郎と血縁関係があるわけではないそうです。
しかし全く関係がないわけではなく、TSUTAYAは創業者である増田宗昭さんの祖父が営んでいた家業の屋号が「蔦屋」だったことから命名したようですが、その後に江戸時代を代表するプロデューサーである蔦屋重三郎のことを知り、TSUTAYAも現代のプロデューサーになれるようにとならって営業をしてきたとのことです。
これからは街でTSUTAYAの看板を見るたびに、蔦屋重三郎が連想されるという人も増えてきそうですね。
本記事では、江戸時代における出版業界の発展に大きな影響を与えた蔦屋重三郎について紹介しました。
彼は「耕書堂」を開業し、書籍や浮世絵を通じて文化の普及に尽力した人物であり、文人や絵師が集まる創作の場としても重要な役割を果たしました。
特に、喜多川歌麿や東洲斎写楽といった浮世絵師の才能を見出し、彼らの作品を世に広めたプロデュース能力は、江戸時代の美術文化を大きく発展させる原動力となりました。
また、彼の活動は単に商業的な成功にとどまらず、文化の普及や一般市民への芸術作品の提供にも大きく貢献しました。
その結果、蔦屋重三郎が築いた功績は、彼が亡くなった後も江戸文化の歴史に深く刻まれ、現代に至るまで影響を与え続けています。
台東区が盛り上がるきっかけの一つとなる今回の大河ドラマでは、そんな彼の激動の人生がどのように描かれていくのでしょうか、楽しみですね。
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